レッジーナってどんなチーム?



1914年、レッジーナは創立しました。
日本の大正時代です。

レッジーナはず〜っと
セリエBとCを行ったり来たりしているチームでした。
それでもレッジーナは南イタリアの人たちの心のオアシス。
いつかはオレらもセリエAの舞台へ!!
みんな夢を抱いて毎日頑張っていました。

やがて街の有力者であるフォティさんが会長になりました。
フォティ会長はお金持ちです。
練習場や宿舎を改築し、選手の待遇も良くしました。
それに答えるように選手たちも頑張りました。

そして迎えた1998年−1999年のシーズン。
レッジーナはその歴史上初めて、悲願だったセリエAの仲間入りをすることができたのでした。

しかし、さすがセリエAは世界の最高峰です。
大量補強をした1999−2000年のシーズンはなんとかなりましたが、
次の2000−2001年のシーズンで
レッジーナは再びセリエBに降格してしまいました。

レッジーナの街の人々はがっくりと肩を落としました。
降格決定の日など、街はまるでお通夜のようでした。

そんなみんなにフォティ会長は言いました。
「私はこのままチームのサポートを続ける。
そして誰一人として、何一つとして、私はこのまま変えるつもりはない。
我々は1年でセリエAに戻るんだ!!」

そしてレッジーナは2001年、快進撃を始めます。
シーズン後半には快進撃の要であったエースのコッツァ選手が
怪我で戦線離脱を余儀なくされますが、
ここで負けたらおしまいのレッジーナ。
チーム全員で守り、戦い、そして攻めて
ついにセリエBの3位に食い込みます。
セリエBは4位以上で昇格です。
レッジーナは約束通り、1年でセリエA復活を決めたのでした。

その夜、街はサポーターで溢れかえり、
街じゅうがレッジーナの深紅の旗で埋め尽くされました。
大人も子供もみんな外に出てレッジーナの歌を歌いました。
レッジーナは我らの炎。
レッジーナは我らの誇り。




そして迎える2002年シーズン。
今度こそセリエA定着のために、レッジーナは頑張らないといけません。
今まで応援してきてくれたサポーターのみんなのためにも。
ここまで支えてきてくれたフォティ会長のためにも。
そして、南イタリアを代表する自分たちのためにも。

そしてその悲願を託す者としてレッジーナは遠い極東の地、
日本から中村俊輔を獲得しました。
しかし、正直に言えば、この時期、中村俊輔にオファーが来るとは
日本人の誰もが想像していませんでした。
中村俊輔は確かに素晴らしい選手ですが、
2002年のワールドカップには出場していなかったからです。

言わば、世界の見本市から外れたところにいた中村俊輔・・・。
レッジーナはなぜそんな中村俊輔を選んだのでしょうか。

それはおそらく
レッジーナがセリエAを一度経験し、そして感じたことの集約。
中村俊輔の持つ、テクニック、創造性、正確なキックが、
これからの自分たちにもっとも必要であるということを
レッジーナは知っているのです。

待ち焦がれた救世主。
ファンタジスタの到来です。
そして何より
やっぱりイタリアにはファンタジスタがいなくっちゃ!!ですよね。(^_^)

見る者を魅了して止まないカルチョの宝石、ファンタジスタたち。
果たして彼らは荒野と化したセリエAに再び舞い下りることができるのでしょうか。

そしてジャパニーズ・ファンタジスタ、中村俊輔。
南イタリア全土の期待を一心に受け、黒い瞳の背番号10が、
世界の度肝を抜く日が訪れるのでしょうか。

私たち、日本のサポーターも彼の活躍を大いに期待して見守っていきましょう。
中村俊輔は我らの炎。
中村俊輔は我らの誇り。

そして、我らのウルトラ・レフティ
永遠に・・・。


サッカー☆カムカム




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